江戸時代に入り、建設業の源が登場

2011.11.18

江戸時代に入ると、棟梁、仕事師(いわゆる、とび)を中心に仲間制度という閉鎖的な社会制度ができると、建設業の源が出てくる。これらの棟梁は、時代が進むにつれ特定の大名や武家屋敷、商店に出入りし、一定の仕事をするようになってくる。江戸中期になると、一部に請負的契約に基づき屋敷など新築の仕事をするものも出てくる。さらに後期に入るとこれがさらに大きくなり、大工・左官などを集めて建築を請負うもの、橋や堤防などの立て替えや修復をするものが現われてくる。

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しかし、これらの人達も一括して工事を請負い、完成させ、引き渡し、代金を受ける建設請負業としての性格はなかった。日本の建設業の基礎ができたのは江戸末期、完全な建設業としての性格を持つようになったのは、西欧の近代的な建築技術・制度が取り入れられた明治期に入ってからである。江戸末期から明治初期にかけては、大工の棟梁がその中心となって積極的に工事を行い、請負業者、建設業者として育っていった。たとえば建築の棟梁であった鹿島岩吉は、英国商社の「英一番館」を一括請負で万延元年(一八六〇年)に手掛け、続いて「アメリカ一番館」など多くの異人館を建築した。また、清水喜助(二代目)は、慶応三年(一八六七年)に「築地ホテル館」を一括請負によって完成させた。このホテルは西洋人のためのもので、三階建て、延ベ一、一〇二坪の立派な建築であった。棟梁から出た他の業者も次々と洋風建築を施工していった。土木工事においても品川の御台場が請負で行われるなど、建設業の芽が生まれている。




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